~ひとが投資をするとはどういうことか~
哲学の本来の営み ~生活に実践できる哲学~
カスタマイゼーションとは、利用者がコミットできる価値観の提案である

ー不透明な時代における哲学への期待ー
廣瀬) これだけ不安定な社会になると、どう生きたらいいのか、どう資産形成をしたらいいのか、わからなくなってきている。そうなると、何かよりどころが欲しいということで、しばしば自己啓発という方向に向かい、社会に馴染んだ自分とその能力の開発というところに行きがちである。そうではなくて、社会に左右されることなく自分自身の価値観を確立して能動的な生き方をする方が、自分自身が納得した人生を送れるのではないか。といったようなことを考えたというのが、京都大学との共同研究をスタートさせた経緯です。
不透明な時代において、哲学が、実学的な金融、資産形成というものに貢献できるとすれば、その役割とは何か、出口先生から教えを乞いたいという漠然とした期待をもって、先生の研究室の門を叩きました。
出口) 今、実学という言葉が出ましたが、たしかに実学と虚学というのがあって、たとえば金融ないしは金融学というのは実学の雄みたいなもの。かたや哲学は虚学の中の虚学。みたいな分け方は実際にあったと思います。
哲学において、近世以降、純粋哲学と応用哲学という区分がカント以来あって、それがアカデミア全体に浸透して、虚学と実学、あるいは文系と理系という二つに分かれたという経緯があって、それぞれでマインドセットが違うという二極化がありました。
それらはいわゆる象牙の塔の中での話ですけれども、そういう二項対立ないしはマインドセットの実態が揺らいできている、自明ではなくなってきているという状況が、21世紀になって、特にコロナ禍の後、表に出てきた。
コロナ禍の前、数十年間にわたってグローバリゼーションというものがあったのが、コロナでいったん止まった。そして、コロナ禍の後、再開、再起動して、われわれは、以前のグローバリゼーション1.0とは違うフェーズ、グローバリゼーション2.0と呼ぶべきような状況の中にいて、この新しい状況が哲学を必要としている。哲学に対するニーズが、世界的、同時多発的に非常に高まっていて、そういった外的な状況もあって実学と虚学という枠組みも揺らぎつつあるのではないかと私は考えています。
ーデファクトスタンダードの功罪ー
出口) コロナ禍の前のグローバリゼーション1.0の時代には、デファクトスタンダードという言い方がよくされていました。
例えば、価値観に関して、西ヨーロッパ、北米の価値観、いろいろなものがありますが、例えば啓蒙主義とか、自由主義といったものが、唯一の、単一のスタンダード、標準として世界に広まって行き、われわれはそれを自明視してきた。そこでは、価値は決まっている。だから、個人であれ、会社であれ、もう少し大きな国の単位であれ、価値について一から考える必要がなかった。考えていたら、グローバルなゲームに乗れない。グローバルなゲームのルールになっているデファクトスタンダードを飲まなければ、ゲームのフィールドにも上がれない。
それで、結局何が残ったかというと、効率化です。グローバルな価値が、不可視化してしまって、目の前にある価値は効率性だけになった。それで起こるのは、効率化競争です。これは個人の間でも起こるし、会社の中でも起こるし、会社の間でも起こるし、グローバルな国家間でも起こる。それでは、なぜ効率化が必要なのか。その答えは、それが効率的だから、というトートロジー。効率化自体が自己目的化してしまって、いろいろなところで、コストカットとかリストラとか、あるいは非正規の労働者がどんどん増えるとか、そういう大変なことになっている。
自己目的化だの効率化だのという、ある種の新たな価値でもって、お互いに首を絞め合う状況がグローバリゼーション1.0だとすれば、それが、いったんコロナでポンと止まった。それが今、再起動されているわけですが、コロナ前には前面には出ていなかった状況、例えばグローバルサウスといったことが、人々の口に頻繁に上るようになった。一つの価値だけでは負いきれない状況、グローバルスタンダードという名のもとで隠されていた状況、多様化、多元化、多極化といったことが、より明確に出てきました。
ーAIの登場ー
出口) それからもう一つ、ちょうどコロナ禍が終わった後、AIっていうものが出てきて、これまでグローバルスタンダードとして自明視されていた、われわれの人間観に、根本的な問いを突きつけています。
グローバリゼーション1.0までの世界観、価値観、人間観においては、われわれは、知的にできること、一人でできることに、人間の価値、本質、尊厳を置いていた。そこに、かけがえのなさ、レゾンデートル、存在理由を置いてきたわけですよね。
これまでも、われわれは、いろいろな便利な人工物、例えば人間より早く走れるもの、車とか新幹線とかを作って、生活は便利になってきた。でも、それらは人間の尊厳を脅かさなかった。だって、人間の尊厳は早く走れることじゃない。走ることにかけては、人間よりもチーターの方が速いわけです。
ところが、少なくとも地球上では人間は圧倒的に頭がいいとか、人間には理性があるとかいったように思ってきたところに、そのプライドの根本のところを凌駕するかもしれないものが登場してきた。それがAIです。
ー人間失業の時代ー
出口) これまで人間の尊厳の基礎とされていた、人間が知的にできることに対して、それを凌駕する人工物、私は凌駕機能体と呼んでいるのですが、そういったものが出てきたわけです。
シンギュラリティっていうのは2000年代から言われてましたが、実際に生成AIが出てきたことで、リアリティが増している。私も先週チリで行われた大きな会議に参加してきたのですが、メインテーマは、AIの登場で知的な職業がどんどんなくなって失業が起こるという問題でした。
でも、一番の問題は、私は人間失業と呼んでいるんですけれども、人間の尊厳の問題だと思います。人間の尊厳を、知的にできることに置いている限りは、AIの登場によって、人間の尊厳は失われてしまう。たとえベーシックインカムによって最低限の生活を保障されたとしても、自分のプライド、存在理由のよりどころが脅かされてしまう。AIがあちこちで問題になっている状況の一つの通奏低音として、そういった人間の実存的な危機、問題があるのではないかと私は思っています。
ヨーロッパの啓蒙主義からきているような世界観、価値観、人間観が、必ずしも自明でなくなってきている。それを捨てる必要はないけれども、答えはもう一つに定まらない。例えばグローバルサウスの台頭ということもあったり、多様化、多元化、多極化せざるを得ない。
そこで、新しい価値のシステムと言いますか、新しい座標軸が必要になってきている。さらにAIの出現ということもあるし、それらを視野に入れて、新しい価値観というものを作り出さないといけない。
世界中のいろいろなところで、哲学の必要性が叫ばれていて、その一つがAIの出現にどう対応するのかということと、もう一つは、一元的ではない、グローバルスタンダードではない、多元的な世界観っていうものをどうやって作っていくのか、ということが問われている。哲学に対するニーズは、ここ数年、急激に高まりつつある。そういう状況だと思います。

ー哲学の本来の営みー
出口) 哲学っていうものには、いろんなパターンやバージョンがあって、一概に言えないんですけれども、私が考えている哲学観、私がやろうとしている哲学というものがあって、一定の前提に基づいて、そこからいろんな推論で組み上げていくというやり方があります。
前提というのは、あくまで前提なので、仮定ないしは作業仮説と言ってもいいかもしれません。絶対正しい前提っていうのはありえない。そういうスタンスです。そういう考え方をベースにして、ちゃんとシステムを作って、最終的には価値の提案をしていく。
グローバリゼーション1.0では、各々が自分の価値を絶対化して、相手は絶対間違っているというふうな主張をしていた。その結果として起こるのは、永遠の抗争です。そういったものに陥らないために、多様性を認めながら、最後は相手を潰すところまで止まらないような、そういう抗争をどうやって防ぐかというのが、グローバリゼーション2.0における切実な課題です。
現在もそういう抗争があちこちで起こっているわけですが、一つの解決法としては、価値は提案するけれども、自分の絶対的な正しさとか無条件の正当性みたいなものを主張しない、自分の価値提案っていうのは、あくまでも価値提案であって、それを出す以上は、自分もそれにコミットしていく。さらに、グローバリゼーションというのはあくまでも全体に基づいているので、最終的には全体を取るのか個人を取るのか社会を取るのかといった、多様な選択肢が開かれるべきで、そういった選択の開示とともに価値を提案する。これは絶対に正しいみたいな形ではなくて、これこれこういう前提があって、もしもあなたがこの前提を取るんだったら、こういう価値の提案がありますよと。ワンオブゼムのオプションという形でやっていく。哲学の本来の営みがそういうものなのだとしたら、グローバリゼーション2.0においては、非常に重要な営みなのではないかと私は考えています。
ー新しい価値の座標軸を求めてー
出口) ところで、ナラティブっていうのが、この第二期の研究の中で一つのキーワードとして出てきましたが、20世紀のフランスの哲学者でジャン=フランソワ・リオタールという人がいて、1979年に『ポストモダンの条件』という本を書いています。そこで彼は、私がさきほど言ったような効率性の一元支配、自己目的化した効率化ということで、お互いがお互いの首を絞め合うという話を40年前にしていて、私はそれをリオタールディストピアと名付けていますけど、そういうディストピアが実現するだろうと言った。
そして、そういったディストピアを実現させるきっかけとして、グランドナラティブ、グレートナラティブって言うんですけれども、近代の社会を支えていたいろいろな営みに正当性を与えていた大きな物語、例えば啓蒙主義とか人類の進化とか、そういったものが崩壊したと。それで、効率性だけが残ると。そういう予言をした。
近代の大きな物語は、リオタールは明確に言ってないんですけれども、偽物本物っていうレッテルを持っていて、自分は本物で他は全部偽物だという、まさに唯我独尊というか、こういう仕方で語られていた。まさに啓蒙主義がそうですし、マルクス主義もそうです。こういう形でやっていたら、不倶戴天の二つの物語同士、価値観同士が、お互いを殲滅し合うまで抗争するしかないという地獄絵図に陥ってしまう。
けれども、われわれは、もう一度、新たな大きな物語を必要としている。今求められているのは、価値の座標軸、包括的な座標軸です。座標軸があって初めて、われわれは、行動の指針とか人生の指針というベクトルが描けます。ベクトルというものは、そもそも座標がないと描けないわけです。
グローバリゼーション2.0の新たなグランドナラティブ、大きな物語としての哲学というものが必要であり、哲学の役割は、本物偽物といったオーセンティシティに毒されていないような新しい価値観を、多元的、多層的に起動し直すということだと私は思います。
これは金融に即しても同じことで、お金を貯めるためのお金を貯める、資産運用のための資産運用といったトートロジーのぐるぐる巡りから脱出するためには、新しい座標軸を生み出すしかない。非常に難しいことだと思いますけれども、そういうことが求められているのだと思います。
ーカスタマイゼーションの提案をめざしてー
廣瀬) 金融機関は、運用に関して、収益率が高いとか低いとか、こっちの方がリターンが高いよという話ばかりしています。でも、われわれのビジネスは投資一任なんですね。一任するわけだから、一任する方は、自分に合った資産形成をということで一任しているわけであって、収益が高いものを一任しているわけではない。ということなので、結局、わたしどものビジネスは、カスタマイゼーションが全てだと思っています。
それで、カスタマイズっていうのは、お客さまの大切にしている価値を知って、初めてできるのであって、そもそもリターンが高いものを選んでカスタマイズするっていうことはありえない。それなのに、運用会社とか金融機関は、こちらの方がリターンが高いですよっていうだけで勧誘していく。でも、本質的な意味でのカスタマイズは何一つなくて、標準的な価値を提示して、お得ですよと言ってるだけで、お客さまにとって価値がありますよっていう話になっていないと、僕は思っているんですね。
なので、ライフ・インテグレーターによって、お客さまに自分が大切にしている価値について認識してもらって、それに合ったカスタマイゼーションを提案するということを実現したい。その意味においては、今の先生のお話とも、それなりに符合しているのかなというふうに理解しました。
出口) そうですね。カスタマイズっていうのは、私の言った言葉で言うと、価値の多層化、多元化、多極化ですよね。単にこれが儲かるからというような、ぐるぐる自己循環するのとは違うものをちゃんと立てていく。そういった多様な選択を提案するというのは、まさに多層化、多元化、多極化、そして外部化へとつながるものだと思います。
ーナラティブを回復して人生をデザインするー
出口) ところで、お金のデザインっていう社名のデザインという言葉には、人生のデザインという意味も込められているという廣瀬さんのお話は、非常に面白いと思いました。
ナラティブ、物語、リストワールっていうのは、主人公がいて、冒険でもいいですし、人生航路に漕ぎ出していく。それで、山あり谷あり、いろいろな出来事に遭遇して、成長したり、失敗もあったり、というものです。それで、聞いている方は、そこに自己投影をして、ハラハラドキドキしながら、その成り行きを追体験する。そこでなされているのは、人生のシミュレーションであり、人生のデザインなわけです。
ここで一番のポイントは、ナラティブというのは、主人公と物語る人が一緒であるという、物語が一人称化するということです。もちろん、抽象的な座標軸、哲学の言葉も重要です。でも、それと並ぶものとして、ナラティブを回復するということ、三人称的に語るのではなくて、一人称で語ることによって、人生のシミュレーション、人生のデザインをする。そういったことを、どれだけビビットな仕方で提示できるのか。それは、今の社会で切実に求められている、一つの大きな方向性なのかなと思います。
廣瀬) ありがとうございます。先生の考えておられることと、わたしどものビジネスが目指している方向が、およそ同じであるということが確認できて、非常に安心しました。これからもどうかよろしくお願いします。