ニュース

【 第2回】京都大学大学院文学研究科哲学専修特定准教授 大西琢朗「「しあわせ」の尺度を提案する」

「しあわせ」の尺度を提案する

共同研究で見えてきた「わたし」型幸福と「われわれ」型幸福

—「しあわせ」の尺度を作る—

(大西) わたしの方からは、この共同研究で作り上げた成果であるライフ・インテグレータ尺度の内容について、お話ししたいと思います。
 廣瀬さんのもともとの問題意識というのは、「お金」というのは究極目標ではなくて、その先に「しあわせ」というのがあるはずだと。けれども、じゃあ「しあわせ」って何? って言われても難しいよね、というものでしたよね。
 われわれはたいてい、「しあわせ」について考えるのは難しいから、さしあたり「お金」というわかりやすい価値に置き換えて考える。そうしておけば間違いないだろうと考えがちです。でも「お金」の話にばかり終始していたら、いつまでたってもその先にある「しあわせ」には到達できない。こういうジレンマがあったわけですよね。
 それで「しあわせ」について考えることの何が難しいかというと、ひとつには、「しあわせ」っていうのは一人ひとり違うものですから、自分で考えないといけない。自分らしい「しあわせ」というものを自分で見つけないといけない。でも、それはじつは難しいことである。
 もうひとつは、「しあわせ」というのは、いろいろなファクターが関わるものだということです。そこでは「お金」も重要なファクターですが、それ以外にも、健康もあるし、家族もあるし、他にもいろいろなファクターがあると。そういう、いろいろなファクターを、総合的に、統合的に考えるというのは、やっぱり難しい。
 このような状況を踏まえて、今回の共同研究では、そういう難しい作業の助けになるような「しあわせ」の尺度を作りましょうという、これがもともとの出発点でした。

—「しあわせ」の8つのファクター—

(大西) それで、ああでもないこうでもないと3人で議論して作ったのが、ライフ・インテグレータ尺度です。これは8つの項目からなっているのですが、哲学や心理学、人類学などのこれまでの研究を参照しながら、「しあわせ」を構成するファクターとしてわれわれがピックアップしたものです。
そして、8つの項目について、その人の理想と現状の両方について答えてもらうようにしました。たとえば、家族や友人との時間をどれだけ取りたいですか? という質問と、じっさいにどれだけ取れていますか? といった質問をするといったぐあいにです。
 そうすることで、その人なりの理想の幸福像とそれに対して現状どのぐらいの達成度なのかということ、そして、そのあいだのギャップが、マトリクスとしてビジュアライズ、可視化ができるようになる。これがライフ・インテグレータ尺度の大まかな構造です。
 一人ひとり独自の価値観に従った幸福像を、総合的に考えて作る。さらに、それと現在の自分とのギャップを見る。そうすると、じゃあ次はこういう部分に力を注がないといけないなというアクションにつながる。あるいは、このライフステージではこれを重視するけど、次のステージに行ったらまた別のところに力を入れるといったこともある。こういったライフデザインからアクションへと至るプロセスを、ライフインテグレータ尺度でガイドできればと思っています。
 次に、尺度の中身ですが、8つの項目というのは、リスクについてどう考えますか? とか、日々の充実感についてどう考えますか? とか、あるいは人生設計というのをどう考えますか? とか、人づきあいについてどう考えますか? とか、いろいろな質問からなっています。
 正直、これらのファクターはどれも、これまでの幸福研究で取り上げられてきたもので、独創的なものではありません。でも、重要なのは、それらをどういうふうにその人なりにミックスするかということです。

—「わたし型幸福」と「われわれ型幸福」—

(大西) それで、その8つの項目を並べていくうちに、われわれは面白いことに気づいたんですね。
 それは、いろいろなファクターに関するいろいろな「しあわせ」があるけれども、これらは大きく2種類の「しあわせ」に分けられるのではないか、8つの項目が4つ4つに分けられるのではないかということです。
 そのうちの4つはどういうものかというと、名前をつけてしまえば「わたし型幸福」に関わるファクターです。自分が完成された人格として、社会の中ですっくと自立する。こういうことに関わる「わたし型幸福」というのがある。一方、残りの4つは「わたし」ではなく複数形の「われわれ」「われわれ型幸福」と名づけられるようなファクターです。こういうふうに8つの項目は2種類に分けることができるというのが、大きな発見だったわけですね。
 
「わたし型幸福」というのは比較的わかりやすくて、自分一人で自立して、自分でちゃんと人生設計をして、誰かに必要以上に頼るわけでもなく、自分でお金を稼いで、それなりに成功して、そして社会の中で認められていく。こういうイメージですね。これは、たとえばデカルトの「われ思うゆえにわれあり」のような、近代哲学の基本的な考え方と言ってよいと思います。中心に自分が居て、そこから世界が開ける。まずは自分一人で自立して、ちゃんとした人間として立つんだという理想はたしかにありますよね。
 一方で、そういう「わたし型」にはおさまらないような「しあわせ」というのもある。いろいろな人にさんざんお世話になりながら、自立しているとは言えないような、行き当りばったりな生き方をしてきたけれど、だからこそ人生は面白いし、「しあわせ」だという実感をもっている方も多いのではないでしょうか。わたしなんかは、まさにそうです。それで、「わたし型幸福」とは区別される、このような「しあわせ」のあり方を、「われわれ型幸福」と呼ぶことにしました。

—ケアの倫理と「われわれ型幸福」—

(大西) そこでわたしが考えていたのは、20世紀に出てきた「ケアの倫理」です。「ケア」と聞くと、まず思い浮かぶのは看病であったり介護であったりするかと思いますが、より広くは、誰かを、あるいは何かを「大事にする」「大切に思う」ということですね。それがじつはわたしたちの存在のベースなんだという考え方。デカルトみたいに世界の中心に自分が存在するというのではなくて、わたしたちは、おたがいがおたがいのことをケアする、大事にする、大切に思うという関係性の中で存在しているという考え方です。
 自分一人だけで立つんじゃなくって、他の人あるいは他の物との関係性の中で自分が生きている。おたがいにおたがいを思いやる中で自分が存在している。そう考えたときに見えてくる「しあわせ」も、たしかな実感としてあると思います。そのような「しあわせ」は、自分だけのものではなく、まさに複数形の「われわれ」のものでしょう。それが「ケアの倫理」という考え方に基づく「われわれ型幸福」です。
 もちろん、「わたし型」と「われわれ型」のうちどちらを重視するのかは、その人次第というところもあるし、ライフステージによるところもあると思います。それらは、どちらか一方だけあればよいというものではなくて、おたがいがおたがいを補い合うような関係でもあります。
 このように、大きく分けて「わたし型」と「われわれ型」の2種類の幸福からなる8つの項目について考えていただくことで、その人なりの「しあわせ」が見えてくる。さらに、それに向かってどういうアクションをとればいいのかも見えてくる。そういう意図をもって作ったのが、われわれのライフ・インテグレータ尺度ということになります。

—個人主義を超えて—

(廣瀬) 今回、大西先生がおっしゃったように、「わたし」「われわれ」という2つの視点を持てたのは非常によかったと思います。
 自己啓発本なんかを読んでみると、えてして、個人、「わたし」の話が多いですよね。「われわれ」の話って、ほとんどされていないんです。でも、それって西洋の個人主義に寄り過ぎてない? というのがあって。「わたし」と「われわれ」の両方を考えるというのは、日本の人にとってはしっくりくるんじゃないかなという気がしました。

(大西) たしかにそうかもしれませんね。西洋、欧米でも、さっき言ったようなケアの倫理なんかが代表例ですけど、そういう「わたし型幸福」でバリバリやっていくぞという雰囲気に対するカウンターというのも、新しい潮流として出てきています。
 ですので、もともと東洋的、アジア的な価値観に馴染みがあり、かつ現在のグローバルな潮流にも敏感な日本の人たちにとっては、わりとしっくりくるところが大きいのではないかなと期待しています。

(廣瀬) 『ポジティブ病の国、アメリカ(Bright-Sided: How Positive Thinking Is Undermining America)』という本があります。アメリカでは、プラス思考が至上命令とされていて、なんでもかんでも「ポジティブ・シンキング」で、思考停止に陥っているのではないかという内容の本なのですが、みなが自分の尊厳を保つようなことを言い合って精神をすり減らし続けている中で、東洋の考え方に目を向け始める人が出てきているということが書かれていました。

(大西) 周りに対してポジティブさをアピールするというのは、逆に言うと、周りに対してシールド(防御壁)を張っておくということなんでしょうね。ネガティブになった瞬間に攻められるから、つねにポジティブであることで跳ね返そうとする。
 でも、ポジティブなのかネガティブなのかはさておき、もう少しゆったりとした他人との関係性の中で生きていくというのもありではないかと、わたしは思います。

(廣瀬) ネガティブなことを言うのは、ビジネス的にもよろしくないことという印象もありますが、弱みを見せてこそ初めて団結心が生まれるということもあるはずです。そういう意味で西洋の個人主義的な考えっていうのは、若干無理があるのかなというのは、ちょっと思いますね。

(大西) そうですね。そのあたりは、まさに「われわれ」というものをどう作るかというときに大事なことかもしれないですね。
 よい「われわれ」を作るためには、みんながポジティブにならないといけないかというと、たぶんそうではない。凸凹のある人たちが組み合わさって「われわれ」になるという、そういう作り方というのもあるのかなと思いますね。

—さらなる探究をめざして—

(廣瀬)  最後に、今回、哲学の研究者として、お金に関する応用哲学的な研究をやってみて、大西先生なりの学びや発見はありましたか?

(大西) わたしはふだんは論理学を研究していて、幸福や「しあわせ」といったことや、ましてや「お金」や投資のことなんかは、まったく専門外でした。そういう状態からスタートして、自分が今まで身につけてきた分析力であるとか構想力であるとかそういったものを使って、重要なポイントをつかむことができて、新しい提案ができた。そこにつなげられたという点では、知的な満足感はあります。
 ただし、これがさらに投資の現場、金融の現場で使えるかどうか、さらには、出口先生がおっしゃるように、それを通じて社会がよくなるかどうかということになると、まだ自信がありません。それは、これからさらに探究しないといけないですし、そこが一番難しくて、でも面白いところなのかなと考えているところです。
 あとは、今回のような産学連携研究では、あえておたがい歩み寄らないという態度が大事なのではないかということを、いつも考えていました。
 廣瀬さんとの議論において、わたしは何度も「ビジネスの理屈としてはそうかもしれないですけど、ここは学問の理屈ですから受け容れてください」といった感じのことを言ったと思います。もちろんその逆もありましたね。
 とにかく、簡単にどちらかが折れてしまうとなにも面白くないので、そこはおたがいにおたがいが大切にしていることを忌憚なくぶつけ合いましょうと、今回、廣瀬さんからも何度かそのように言っていただいたので、そのことはとてもありがたかったですね。

最新情報はこちら

新たな世界へと挑む異端児を紹介するメディア

PAGE TOP